このページは、私安達健が日々思い考えたことを気の向くに任せて書き付けています。
定期的な更新はしませんが、陶器その他の作品の後ろ側にあるコンテクストに触れていただく場として、
時折お読みくださいましたら幸いです。
 ある生物学者の話。

 生物学的に見て、いわゆる「強いもの」が生き残るわけではない、という。
「強いもの」だけ、「賢いもの」のみで種が維持できるわけではない。
必要なのは多様であること。
複雑であること。

 区分けして、あるいは棲み分けて、関係を限定していく。
拡がるようでいて、実は閉じていっているようにすら見える現代。
雑多という本当の強さを社会の本来の意味でのネットに。

 優生思想は完全に間違っている。
そんなこと庭先を見るだけで明らかなのです。







                            平成28年8月16日(火)記



 最近聴く音楽はマレウレウのうたと高木正勝のピアノ。

 マレウレウを聴いていると、
やっぱり人間というもの、一個人単位に分断分類するのはナンセンスだなと。
「全体」においてそのパートであること。
歯車とかではなくて、重なりのうちの一層。レイヤー。
そしてその境目は次第あやしくなっていく。
社会に、世界に溶け込んでいくような、その感触。

 十数年前。僕が映像を模索していた頃。
高木正勝は新世代のビデオアーティストのカテゴライズで、美術誌に頻繁に載っていた。
そのデジタルテクノロジーを駆使した方法論に僕は馴染めなくて、
というかむしろ忌避感すら覚えていたように記憶している。
その彼がこれほどに情感のあるピアノを弾くなんて、思ってもみなかった。
テクニックとかデザインとか、そんなものは対感情の前ではほとんど無力。
揺さぶられるのは、いつも相手の些細にして無作為な情動。




                            平成28年6月28日(火)記



 引っ越して半年。ようやくホームページをリニューアル開設できました。


 人生において、しかもこの半生とも言えないほどに、駆け出して間がない時期に
こうして付けられているかどうかすら怪しい自分の足跡を振り返るのは
とても複雑な心持ちがします。

結局のところ、今この手に、この身体に何か残せているのか。
どこかに、誰かに何が残せているのか。
明らかに薄い実感。
儚さ。

とはいえ、自身で信じるほかないのです。
自信とはそういうもの。

この半年、そういう時間を過ごしてきました。

この期せず与えられた猶予に、感謝。


                            平成28年6月1日(水)記